出足をくらって少し不机嫌な私は父の机のそばにむっつり坐りました。十五六ばかりの品物が记されました。砚石や香合。白磁の壶、挂轴や色纸。セーブルのコーヒセット、るり色の派手なもので私の嫁入道具にすると云って一组だけ今まで売らずにいたのでした。それから银器が五六点。
「雪子、これ土蔵から出しておいてくれ。それから东さんを呼んで来てね。だいたい値をかいておいたけれど、よくもう一度相谈してみてくれ。银は东さんでない方がいいだろう。贵金属屋の方が……」
「では今日中に」
私は渋々立ち上り、袋戸棚から重い鉄の键を出して土蔵を开けました。ぎいっと大きな戸をあけると、かびくさいつめたい臭いがします。もう大方がらんどうになっていて、うすぐらい电灯の上にほこりが一ぱい积っておりました。品物を父の寐ている部屋の縁侧へ并べて伤がないかしらべたりしました。母や叔母は、それ等の品を悲壮な面持で眺めております。
「仕方ないわね。编物の内职でなんとか春彦と二人食べて来てるけれど、だんだん注文もなくなって来たし、株だってさがる一方だし、売る物もないわ。ひすいやダイヤもすっからかん。今はめている指轮、これは十銭で夜店で买ったのよ。魔除けの指轮、もう三十年になるわ」
「おばさまはお伟いわ、どん底でも案外平気でいらっしゃる」
「なるようにしかならないものね」
「私はならせたい。やりたいのよ」
「八卦でもみてもらったらいい考えが浮ぶかもしれないわね」
「いい考えだわ、そう、雪子みてもらお。母様もみてもらおうじゃありませんか」
「いや、私はいやですよ、神様におまかせしているのです」
その时初めて口をきいた母は、きっぱり斯う云いました。母は神霊教という日本の神道の一派の信者なのです。どんな祸いがあっても神様がおたすけ下さって最少限度で事が済んだと、早速お礼まいりです。狂信的なほどの信仰でした。父も私の家も神霊教ではありません。母一人です。毎月、一日十五日はお祭りがあり、仏坛の隣りの祭坛に榊がのせられ、神主さんがやって来ます。この顷は母以外、谁もその祭りに加わりませんが幼い顷は义务のように私达はすわらされました。长い神勅の间、私达兄妹は、畳の目数をかぞえたり、むき出している足をつねり合ったりしてよくしかられたものでした。母の信仰に対して私は何とも思っておりませんでした。が时々、御献费を倹约すれば靴が买えるなどと思うことがありました。
縁侧から座敷へ品物を运んで来て片隅に并べました。そうして私は道具屋の东さんを呼びに行きました。
神社の横手の露地をはいるとすぐそこに东さんの店があります。ガラガラ戸をあけて中へはいるといいお香のにおいがします。
「いらっしゃい、お嬢さん」
「おひさしぶり、この顷いかが?」
「さっぱり売れまへんな」
长火钵に烟草をぽんといわせて、主人は首をふりました。店をみまわしますと、いろいろな形のものがごちゃごちゃにおいてあります。朝鲜の竹の棚がいいつやをみせて、その上の宋胡六の钵をひきたたせております。
「ここへすわっていると、いつまでたってもあきないわね」
「へっへ、まあどうぞおかけ、お茶をいれますから」
主人は相槌をうちながらおいしい煎茶をいれてくれました。
「あのね、父が少し残っているものを买っていただきたいって申しますの、来ていただけません? 大したものでもないんですけれど」
「ああさようですか、お宅のものならなんでも买わせてもらいまっせ。今日の午後からでもうかがいましょう」
「有难う」